SAYi JOURNAL

セックスしたい自分が、なんだか嫌だ。

例えば、自分からセックスに誘いたくなっても、「がっついていると思われそう」と言葉を飲み込む。相手には何も言われていないのに、自分で自分をだらしないと思ってしまう。したい。それなのに、したいと思う自分が嫌だ。

最終更新:2026年10月6日

夜のベランダで、手すりに腕を置いて遠くを眺める成人男性のイラスト(AI生成)
記事のテーマを描いたイメージ
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知られたら、何と言われそう?

こういうとき、「性欲さえなくなれば」と考えたくなります。でも、気になるのは欲求の強さでしょうか。それとも、欲求がある自分を誰かに知られることでしょうか。

「女から誘うなんて、はしたない」「親になってまで、そんなことを考えるの?」。そんな言葉が浮かぶなら、自分が今もそう思っているのか、それとも言われるのが怖いのか、少し考えてみたいところです。

例えば、友人から「子どもが生まれてからも、パートナーとセックスを楽しみたい」と聞いたとき。その友人まで、だらしない人だと思うでしょうか。

友人には「楽しみたいよね」と思うのに、自分には「そんなことを考えてはダメ」。自分にだけ、ずいぶん厳しい言い方をしていませんか。

性についての考え方には、身体だけでなく、文化や宗教、周りの価値観なども関わります。「自分は昔からこうだから」で終えず、いつ、誰から聞いた言葉なのかを思い出してみるのも一つです。

「結婚するまでセックスはしない」など、今の自分が大事にしたい考えは残せます。したい気持ちがあっても、しないと決めることはできます。

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「だらしない」を、もう少し詳しく言うと?

自分を責める言葉が出てきたら、何が嫌なのかを書き足してみてください。例えば、こんなふうに。

「セックスしたい私は、だらしない」→「本当は自分から誘いたい。でも、相手に引かれるのが怖い」

「こんなことを考えるなんて、親失格だ」→「親になった今も、パートナーと性的に触れ合いたい」

「欲求があるから、また押しつけてしまう」→「前は断られたあとも誘ってしまった。次は断られたら止める」

最初の例で気になるのは、相手にどう思われるか。二つ目は、親らしさについての自分の考え。三つ目には、変えたい行動があります。同じ「自分が嫌だ」でも、考えたいことは違います。

断られたあとも迫ってしまったなら、その行動は振り返りたい。ただ、「性欲がある自分は全部ダメ」で終えると、次に何を変えるのかが曖昧なままです。

まずは「私はセックスしたいと思っている」とだけ書いてみる。そのあとにいつも続く「だから、だらしない」は、今日も本当に必要でしょうか。

参考資料・関連する利用案内

資料の確認日:2026年9月30日

  • WHO:Sexual health

    性のあり方には欲求・価値観・行動などが含まれ、文化的・宗教的・社会的な要因も関わるという説明を参照。本文の問いや言い換えはSAYi編集部の提案です。

  • SAYi公式note:交流会月間レポート(2025年6月)

    2025年6月26日公開。性欲と罪悪感が話題になったという活動報告を、企画の参考にしました。この記事の場面や発言は、参加者の体験談ではありません。

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